自分に課した「〜であるべき」を手放す 自分を責める心のブレーキを外すヒント
自分を責めてしまう「〜であるべき」という心の声
私たちは日々の生活や仕事の中で、「こうするべき」「こうあるべき」という無意識のルールや期待に囲まれています。特に責任感が強く、真面目な方ほど、この「〜であるべき」という基準を自分自身に対しても厳しく課しがちです。そして、その基準を満たせないときに、「自分はダメだ」「なぜできないんだ」と、自分自身を責めてしまうことがあります。
この「〜であるべき」という心の声は、時に私たちを奮い立たせ、成長を促す原動力になることもあります。しかし、それが過度に厳しすぎたり、現実的でなかったりする場合、心に大きな負担をかけ、自分を責める原因となり、息苦しさや疲弊感につながってしまいます。
この記事では、知らず知らずのうちに自分を縛り付けている「〜であるべき」という考え方に気づき、それを手放すことで心が楽になるためのヒントを、具体的なステップと共に紹介します。自分を責める心のブレーキを外し、もう少し楽に日々を過ごすための糸口となれば幸いです。
「〜であるべき」はどこから来るのか
私たちが持つ「〜であるべき」という考え方は、様々な要因によって形成されます。
- 過去の経験や教え: 幼少期からの家庭環境や教育、社会的な規範、成功体験や失敗体験から「こうすれば認められる」「こうしないと問題が起きる」といった考え方が刷り込まれます。
- 周囲からの期待: 家族、友人、職場の上司や同僚からの期待を感じ取り、「その期待に応えるべきだ」と内面化することがあります。特に管理職などの立場にある方は、部下や組織からの期待を強く感じやすいでしょう。
- 社会的な規範や価値観: 「こうあるのが普通」「これが成功の定義」といった社会全体の価値観も、「〜であるべき」の形成に影響を与えます。
- 完璧主義: 物事を完璧にこなさなければならない、という完璧主義の傾向が強いほど、「〜であるべき」の基準は高くなります。
これらの要因が複雑に絡み合い、「仕事は常に完璧であるべき」「管理職たるもの弱みを見せるべきではない」「常に冷静沈着であるべき」といった、自分自身に対する厳しいルールを作り出してしまうのです。
「〜であるべき」がもたらす影響
過度な「〜であるべき」は、心身に様々な影響を及ぼします。
- 自己肯定感の低下: 設定した高い基準を満たせないたびに、「やはり自分は能力が低い」「価値がない」と感じ、自己肯定感が損なわれます。
- 慢性的なストレスと疲労: 常に「〜であるべき」という基準を満たそうと努力することで、心身に constant な負荷がかかり、疲労や燃え尽きにつながることがあります。
- 挑戦への意欲低下: 完璧にできないならやらない方が良い、という思考に陥り、新しいことへの挑戦を避けるようになることがあります。
- 人間関係の歪み: 他者に対しても「〜であるべき」を適用し、期待通りでないと批判的になったり、逆に他者の「〜であるべき」に過剰に囚われたりすることがあります。
このような状態は、自分自身を責めるスパイラルを生み出し、心の健康を損なうことにつながりかねません。
「〜であるべき」を手放すための具体的なステップ
「〜であるべき」という考え方を完全に無くすことは難しいかもしれませんし、全てが悪いわけでもありません。しかし、それが自分を苦しめているのであれば、その影響力を弱め、手放していくことが大切です。ここでは、そのための具体的なステップを紹介します。
ステップ1: 自分の「〜であるべき」に気づく
まずは、自分がどのような「〜であるべき」を持っているのかに気づくことが第一歩です。自分が疲れているとき、イライラしているとき、自分を責めているときに、心の中でどんな声が聞こえているか耳を澄ませてみましょう。
例えば、「今日の会議では、全ての質問に淀みなく答えるべきだった」「部下のミスは、全て管理職である私の責任であるべきだ」「体調が悪くても、仕事を休むべきではない」といった考えが浮かぶかもしれません。
ノートに書き出してみるのも良い方法です。自分の内面で繰り返される「〜べき」のリストを作成することで、自分が何に縛られているのかを客観的に把握できます。
ステップ2: その「〜であるべき」を問い直す
気づいた「〜であるべき」が、本当に現実的で、自分にとって必要かを問い直します。認知行動療法では、自動思考(無意識に浮かぶ考え)の妥当性を検討するプロセスを重視します。
- その「〜であるべき」に、反証する事実はありますか? 例えば、「体調が悪くても休むべきではない」と思っているとして、過去に体調が悪い時に休んだことで、かえって回復してその後の仕事の質が上がった経験はないでしょうか。あるいは、誰か他の人が体調不良で休んだとして、それに対して「ずるい」「許せない」と感じるでしょうか。多くの場合、他者に対しては自分ほど厳しくないことに気づくかもしれません。
- その「〜であるべき」は、誰かからの借り物ではありませんか? 親、上司、社会の基準など、外部から取り込んだ基準ではないでしょうか。それは、本当に自分自身の価値観に基づいていますか?
- その「〜であるべき」に固執することで、何を得て、何を失っていますか? 短期的な達成感を得る代わりに、長期的な幸福感や健康を失っていないでしょうか。
このように自問自答することで、「〜であるべき」の根拠が案外曖昧であったり、自分を苦しめるだけでメリットが少ないことに気づくことがあります。
ステップ3: 「〜であるべき」を「〜でもよい」に緩める
厳しい「〜であるべき」を、もう少し柔軟な「〜でもよい」に変えてみましょう。例えば、
- 「会議では常に完璧であるべき」→「会議では、完璧でなくても、分からないことは質問してもよい」
- 「部下のミスは全て自分の責任であるべき」→「部下のミスに対して、自分にできるサポートはあるが、全ての責任を負うべきではない場合もある」
- 「体調が悪くても休むべきではない」→「体調が悪い時は、必要に応じて休息をとってもよい」
このように言葉を変えるだけでも、心の持ち方が変わります。完璧を目指すのではなく、「十分であること(Good enough)」を目指す視点を持つことも有効です。自分に課すハードルを少し下げることで、達成しやすくなり、自分を責める機会が減ります。
ステップ4: 自分自身の価値を再認識する
あなたの価値は、「〜であるべき」を全て満たしているかどうかによって決まるものではありません。仕事の成果、役職、他者からの評価といった外的な基準だけでなく、一人の人間としてのあなたの価値に目を向けてみましょう。
- あなたの持っている強み、才能は何ですか?
- あなたが大切にしている価値観は何ですか?
- あなたがこれまでに乗り越えてきた困難は何ですか?
- あなたの人柄や、他者との関係性の中で発揮される良い面は何ですか?
結果だけでなく、目標に向かって努力したプロセスや、そこから得られた学びにも焦点を当てることで、自分自身の多面的な価値を認められるようになります。自己受容とは、良い面もそうでない面も含めて、ありのままの自分を受け入れることです。
ステップ5: 感情や体の声に耳を傾ける
「〜であるべき」に囚われているとき、私たちは往々にして自分自身の感情や体の声に鈍感になっています。「疲れているけど頑張るべきだ」「不安を感じている場合ではない」といった考えが、心身からのサインを無視させてしまうのです。
マインドフルネスの実践は、今この瞬間の感情や体の感覚に意図的に注意を向け、それを評価せずにただ観察することを促します。これにより、「疲れているな」「心がざわついているな」といったサインに気づきやすくなります。
これらのサインは、「〜であるべき」という考え方が自分に無理をさせていることの証拠かもしれません。自分の内側の声に耳を傾け、必要であれば「〜であるべき」よりも自分自身の wellbeing を優先する選択をすることが、自分を責めずに楽になるために非常に重要です。
結論
「〜であるべき」という考え方は、時に私たちを成長させますが、過度になると自分を縛り付け、責める心のブレーキとなります。このブレーキを外すためには、まず自分がどのような「〜であるべき」を持っているのかに気づき、それが本当に自分に必要なのかを問い直すことが大切です。
そして、「〜であるべき」を「〜でもよい」に緩め、完璧ではなく「十分」を目指す視点を取り入れます。自分自身の価値を外的な基準だけでなく多角的に捉え、ありのままの自分を受け入れること(自己受容)も重要です。最後に、自分自身の感情や体の声に耳を傾け、心身からのサインを尊重することが、自分を責めずに楽になるための鍵となります。
これらのステップは、一度試せば全てが解決する魔法のようなものではありません。日々の生活の中で、意識的に練習していくことが大切です。今日から一つでも良いので、自分の「〜であるべき」に気づき、少しだけ緩めてみることから始めてみてはいかがでしょうか。自分自身に対して、もう少し優しくなることを許しても良いのです。